DV ストーカーを考える
長崎県佐世保のスイミングスクールで猟銃を乱射して
2人の方が亡くなり、数名の方が怪我をされるという
痛ましい事件がおきました。
犯人も事件後自殺をしているので
真相が完全にわかることはないでしょう。
けれど、いろいろな事実をつなぎあわせていくと
どうも、犯人は亡くなった女性の方に
一方的な関心をもっていたそうです。
その「関心」が何故「射殺」になるのか
私には理解ができませんが、
犯人の行為はいわゆる「ストーカー」になるかと思います。
「ストーカー」とは
・相手の意思にかかわらず交際を要求したり
・待ち伏せをしたり
・電話を掛け続けたり、
・汚物や動物の死骸をターゲットにした人の
周辺に撒き散らしたり送りつけたり
・わいせつな写真を送りつける
などの「つきまとい行為」を繰り返すことを言います。
佐世保の事件の前にも
函館で女性が付きまとわれていた男性に
ナイフで殺害されるという事件がありました。
どちらの被害者の方も
何故自分が殺されなければならないかを
知ることもできず無念のうちに亡くなられたのです。
同じ人間として
本当に悔しいと感じます。
「ストーカー」の加害者と「DV」の加害者について
考えてみました。
どちらも
自分でない人の痛みを感じない、という冷たさと
相手が思い通りにならなければ
傷つけるとか、命を脅かしていいという
自分勝手な思い込みが共通してあるように思います。
そしてそこには、
被害を受ける人への尊厳はどこにもなく、
自分の所有物であるという思い込みが存在します。
そして、ストーカーだけでなく
DVも場合によっては相手を死に追いやる可能性があります。
DVを受けるというのは
とてつもなく恐ろしいことです。
痛みと恐怖と、屈辱を受けるのです。
痛みは、肉体的暴力だけでなく
言葉の暴力や、経済的な暴力、拘束などによっても
心が深く傷つくことで痛みを感じるものです。
暴力をふるっている側はなんとも思わなくても
受ける側は殺されるかもしれない恐怖を感じることもあれば
生きていくことに絶望してしまうこともあるのです。
そして、そういう行為が続くことで
その辛い立場から逃げ出す気力すら失ってしまうこともあるのです。
この文章を
一度でも親密な関係のパートナーに
なんらかの「暴力」を振るった経験のある方
が読んでいてくれるのなら
自分がしていることは一体何なのか、ということを
考えていただきたいと思います。
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